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JLPT N2 – Reading Exercise 16
以下いかは、ある漫画家まんがかが書かいた文章ぶんしょうである。僕ぼくはいままで数多かずおおくの漫画まんがやアニメで未来みらいをイメージしてきた。未来みらいを「想像そうぞう」し、そこから作品さくひんを「創造そうぞう」してきた。僕ぼくにとって想像そうぞうと創造そうぞうはごく近ちかしい、混まじり合あったものだと言いっていいだろう。では、イメージすること、想像そうぞうすることについて考かんがえてみよう。僕ぼくは想像そうぞうには二種類にしゅるいあると考かんがえている。可能性かのうせいが希薄きはくでも許ゆるされる「空想くうそう」と、確度かくどの高たかいデータに基もとづいた「予測よそく」だ。空想くうそうは幻想的げんそうてきな意味いみでの夢ゆめ見みる世界せかい。予測よそくはやがてこうなるだろうという現実げんじつの延長線上えんちょうせんじょうに浮うかぶものだ。この二ふたつが自分じぶんの頭あたまの中なかで組くみ合あわせられ、出来上できあがっていくものが僕ぼくにとっての「想像そうぞう」だ。「空想くうそう」の中なかには途方とほうもないこともある。子供こどものときに考かんがえていたこととなんら変かわりがない、突拍子とっぴょうしもないものも含ふくんでいる。「夢ゆめ」と言いい換かえてもいいだろう。しかし、夢ゆめや空想くうそうだけではどこかものたりない。そこで、現実げんじつの延長線上えんちょうせんじょうにある未来みらいについての予測よそくが必要ひつようになってくる。しかし、空想くうそうが現実げんじつからかけ離はなれるばかりかといえばそうではないし、予測よそくが必かならず現実げんじつを言いい当あたるというものでもない。どちらも、未来みらいをイメージする=想像そうぞうすることのうちにあるのだ。(中略ちゅうりゃく)僕ぼくは空想くうそうも予測よそくも好すきな少年しょうねんだった。子供こどもの頃ころから「想像そうぞう」することが大好だいすきだった。しかし、僕ぼくが「想像そうぞう」をただの「想像そうぞう」に終おわらせず、作品さくひんを作つくるという「創造そうぞう」へと結むすび付つけてきたのはなぜだろう。僕自身ぼくじしんはあまり意識いしきしてこなかったことだが、こうして考かんがえてみると、やはり「何なにのために描かくのか」という言葉ことばが浮うかび上あがってくる。「想像そうぞう」するだけなら一人ひとりでしていればいい。あるいは、友人ゆうじんたちとのおしゃべるで十分じゅうぶんだろう。しかし、「創造そうぞう」するためには、そこに「何なにのために」という強つよい動機どうきが必要ひつようなのだ。僕ぼくが「想像そうぞう」したことをもとに作品さくひんを「創造そうぞう」することで、もしかしたら、その作品さくひんをきっかけに何なにかが変かわるかもしれない。僕ぼくも人類じんるいの一人ひとりとして、この地球ちきゅうがよりよい方向ほうこうに進すすみ、幸福こうふくな未来みらいへとつながっていってほしい。大おおげさなことはあまり言いいたくないが、大おおきな目的もくてきとして、「地球ちきゅうの未来みらいのために」僕ぼくは作品さくひんを描かいているのかもしれない。