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JLPT N1 – Reading Exercise 33
僕ぼくらは、自由じゆうという言葉ことばにある重おもさを感かんじる。自由じゆうと勝手かってとは似にて非ひなるもので、自由じゆうを与あたえられると、その尊とうさゆえにどう扱あつかっていいかと緊張きんちょうするのである。そのように教おしえられたわけではないのだが、その解釈かいしゃくする感性かんせいが少すくなくとも備そなわっていたということだろう。日常にちじょうの仕事しごとのことでもいい、ちょっと思おもい返かえすと、「1いち」それが実感じっかんできる。「2に」自由じゆうにおやりくださいと言いわれると、無邪気むじゃきに、あるいは無責任むせきにんに、これは楽らくだと思おもえるだろう。自由じゆうにおやりくださいの自由じゆうは、あなたの思おもうままお好すきな世界せかいを構築こうちくして結構けっこうですという、全幅ぜんぷくの信頼しんらいや神かみのごとき好意こういではないのである。もっとつき放はなしている。お手並てなみ拝見はいけんという底意地そこいじの悪わるさもある。だから、言いわれた側がわの本心ほんしんとしては、自由じゆうにやらせていただけるのですかと、感動かんどうのリアクションを示しめしながら、実じつは大たいして期待きたいしていないな、要ようするにあてにされていないなと思おもったりするのである。それもこれも、自由じゆうという言葉ことばの持もつ重おもさと、それを使つかいこなす困難こんなんさを知しっているからである。だから、僕ぼくらは若わかい時とき、自由じゆうに書かいてください、自由じゆうに解釈かいしゃくしてください、自由じゆうに生いきてくださいと言いわれると、捨すてられたような戦慄せんりつを覚おぼえたものである。自由じゆうは善玉ぜんだま、制約せいやくは悪玉あくだまだと伝つたえられているが、制約せいやくを示しめされた方ほうが人ひとは安心あんしんして生いきられることころもあるのである。「中略ちゅうりゃく」僕ぼくは、自由じゆうを理解りかいし、自由じゆうを享受きょうじゅし、自由じゆうを主張しゅちょうするためには、無免許むめんきょであってはならないと思おもっている。少すくなくとも許ゆるされることと、許ゆるされざることの判別はんべつが可能かのうな人ひとだけに交付こうふされるべきなのである。(阿久悠あくゆう『清きよらかな厭世えんせい—言葉ことばを失なくした日本人にほんじんへ』による)