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JLPT N2 – Reading Exercise 88
幸福こうふくは人生じんせいの目標もくひょうである。それだけに一体いったいどういうものが「幸福こうふく」なのか知しるのは、それを追求ついきゅうする前提ぜんていとして深刻しんこくな課題かだいであると思おもう。あるとき、若わかい人ひとが、私わたしに向むかって「幸福こうふくというのはあるのか」と深刻しんこくそうな顔かおをして聞きいたことがある。彼かれは人間にんげんの欲望よくぼうというのは無限むげんに続つづくものであるから、幸福感こうふくかんまではなかなか到達とうたつしないのではないかというのだ。なるほどそういえるかもしれない。人間にんげんが進歩しんぽする動物どうぶつであるならばなおさらのことだ。でも、私わたしは幸福こうふくは存在そんざいすると思っている。趣味しゅみに例れいをとっても、ある人ひとは野球やきゅうすることをあげ、他ほかの人達ひとたちは読書どくしょや映画えいが、音楽おんがくとそれぞれに主張しゅちょうする。登山とざんや魚釣さかなつりという人ひともいるだろう。このように趣味しゅみは人ひとによってさまざまだが、同様どうように幸福こうふくについても人ひとによっては考かんがえ方かたがまちまちだと思おもう。「幸福こうふくとはどのようなもの?」と聞きかれたら「裕福ゆうふくになること」と答こたえる人ひともいるのだろう。また、「社会的しゃかいてきな地位ちいに到達とうたつする」のを幸福こうふくだと考かんがえているかもしれない。逆ぎゃくにそのような裕福ゆうふくとか社会的しゃかいてき地位ちいを否定ひていして、「心こころの豊ゆたかな人ひと」になることが幸福こうふくだと思おもっている人ひともいると思おもう。思考しこうや感情かんじょう、さらには生活せいかつ様式ようしきさえ異ことなる人間にんげんのことだ。幸福こうふくについての考かんがえ方かたに、差さがあってもいいのではないか。ただ同おなじく裕福ゆうふくを主張しゅちょうしても、多おおくの人ひとの幸福こうふくを願ねがって慈善事業じぜんじぎょうに協力きょうりょくする人ひともいれば、一方いっぽうには「がめつい奴やつ」の看板かんばんを背負せおって生いきてるような人ひともいる。他人たにんになんといわれようと、その人ひとはそれで結構けっこう幸福こうふくなのだ。人間にんげんは自分じぶんのために生いきるのだから、他人たにんに迷惑めいわくさえかけなければこれでもいいのである。しかし、私わたしはスタートの段階だんかいではそれでもいいが、いつまでもそのままの考かんがえから進歩しんぽしないのでは困こまると思おもう。私自身わたしじしんとしては、別べつな生いき方かたをとる。幸福こうふくというものについて、これだといい切きれる考かんがえはまだ私わたしも持もっていないが、私わたしは「会社かいしゃでの仕事しごとも楽たのしく、家庭かていでの生活せいかつも楽たのしい、つまり一日いちにち二十四時間にじゅうよじかんを楽たのしく過すごすこと」が幸福こうふくだと思おもっている。言葉ことばはすこぶる平凡へいぼんだが、この内容ないようは非凡ひぼんだと自負じふしている。それと、自分じぶんの幸福こうふくな状態じょうたいが「他人たにんの目めにも楽たのしく、心こころも楽たのしませる」ものでありたいとも私わたしは思おもう。(本田ほんだ宗一郎そういちろう『得手えてに帆ほあげて』による)なおさらのことだ:ここでは、ますますそうだといえるまちまちだ:それぞれ違ちがっている「がめつい奴やつ」の看板かんばんを背負せおって生いきてるような人ひと:けちで欲張よくばりな人ひとすこぶる:非常ひじょうに