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JLPT N1 – Reading Exercise 92
私わたしは、科学かがくが再ふたたび文化ぶんかのみに寄与きよする営いとなみを取とり戻もどすべきと考かんがえている。壁かべに飾かざられたピカソの絵えのように、なければないで済すませられるが、そこにあれば楽たのしい、なければ何なにか心こころの空白くうはくを感かんじてしまう、そんな「無用むようの用よう」としての科学かがくである。世よの中なかに役立やくだとうというような野心やしんを捨すて、自然しぜんと戯たわむれながら自然しぜんの偉大いだいさを学まなんでいく科学かがくで良よいのではないだろうか。好奇心こうきしん、探求心たんきゅうしん、美びを求もとめる心こころ、想像そうぞうする力ちから、普通性ふつうせいへの憧あこがれ、そのような人間にんげんの感性かんせいを最大限さいだいげん練磨れんまして、人間にんげんの可能性かのうせいを拡大かくだいする営いとなみのことである。むろん、経済けいざい一辺倒へんとうの現代げんだい社会しゃかいでは、そんな原初げんしょ的な科学かがくは許ゆるされない。一般いっぱんに文化ぶんかの創造そうぞうには金かねがかかる。ましてや科学かがくは高価こうかな実験器具じっけんきぐやコンピューターを必要ひつようとするから一定いっていの投資とうしをしなければならず、そうすれば必かならずその分ぶんの見返みかえりが要求ようきゅうされる。「文化ぶんかより明日あしたのコメを」という声こえも絶たえることがない。社会しゃかいもムダと思おもわれるものに金かねを投なずるのを忌避きひするからだ。それが「役やくに立たつ」科学かがくとならねばならない要因よういんで、科学者かがくしゃもセールスマンのように次々つぎつぎに目新めあたらしい商品しょうひんを用意よういして社会しゃかいの要求ようきゅうに迎合げいごうしていかねばならなくなる。それを逆手さかてにとって、あたかも世よの中なかを牛耳ぎゅうじっているかのように尊大そんだいに振舞ふるまう科学者かがくしゃすら登場とうじょうするようになった。これほど社会しゃかいに貢献こうけんしているのだから、もっと金かねをよこせというわけである。金かねを通とおしての科学者かがくしゃと社会しゃかいの網引あみひき状態じょうたいと言いえるだろうか。それでいいのかと改あらためて考かんがえ直なおしてみる必要ひつようがある。確たしかに科学かがくには金かねがかかり、それには社会しゃかいの支持しじが欠かかせない。「無用むようの用よう」にすらならないムダも多おおいだろう。しかし、ときに科学かがくは世界せかいの見みかたを変かえる大おおきな力ちからを秘ひめている。事実じじつ、科学かがくはその力ちからによって自然観しぜんかんや世界観せかいかんを一変いっぺんさせ、社会しゃかいのありように大おおきな変化へんかをもたらしてきた。社会しゃかいへの見返みかえりとは、そのような概念がいねんや思想しそうを提供ていきょうする役目やくめにあるのではないか。それは万まんに一つくらいの確率かくりつであるかもしれないが、科学かがくの営いとなみ抜ぬきにしては起おこり得えない貢献こうけんである。むろん、天才てんさいの登場とうじょうを必要ひつようとする場合ばあいが多おおいが、その陰かげには無数むすうの無名むめいの科学者かがくしゃがいたことを忘わすれてはならない。それらの積つみ上あげがあってこそ天才てんさいも活躍かつやくできるのである。今いま必要ひつようなのは、「文化ぶんかとしての科学かがく」を広ひろく市民しみんに伝つたえることであり、科学かがくの楽たのしみを市民しみんとともに共有きょうゆうすることである。実際じっさい、本当ほんとうのところ市民しみんは「役やくに立たつ科学かがく」ではなく、「役やくに立たたないけれど知的ちてきなスリルを味あじわえる科学かがく」を求もとめている。市民しみんも知的ちてき冒険ぼうけんをしたいのだ。(中略ちゅうりゃく)科学かがくの行為こういは科学者かがくしゃという人間にんげんの営いとなみだから、そこには数多かずおおくのエピソードがあり、成功せいこうも失敗しっぱいもある。それらも一緒いっしょに紡つむぎ合あわせることによって「文化ぶんかとしての科学かがく」が豊ゆたかになっていくのではないだろうか。それが結果的けっかてきに市民しみんに勇気ゆうきや喜よろこびを与あたえると信しんじている。(池内いけうち了さとる『科学かがくの限界げんかい』による)