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JLPT N1 – Reading Exercise 75
現代げんだいは、「発明はつめいは必要ひつようの母はは」となった時代じだいである。あるものが発明はつめいされると、企業きぎょうはさまざまな余分よぶんの機能きのうをあたかも必要不可欠ひつようふかけつとばかり付加ふかして製品せいひんを売うり込こもうとし、人々ひとびとはその機能きのうがいかにも前まえから必要ひつようであったかのごとく錯覚さっかくして購入こうにゅうするからだ。発明はつめいが欲望よくぼうを刺激しげきし、欲望よくぼうが人々ひとびとを消費しょうひに走はしらせ、消費しょうひが新あらたな必要性ひつようせいという幻想げんそうを生うみ出だすのである。その結果けっか、本来ほんらい必要ひつようでなかったものにまで飢餓感きがかんを募つのらせ、無限むげんに便利べんりさを追おい求もとめるという悪循環あくじゅんかんに陥おちいる。このように企業きぎょうの戦略せんりゃくと人々ひとびとの欲望よくぼうが結むすびついて、ひたすら「幸福こうふく」を求もとめようとする構造こうぞうが「1」現代げんだいという時代じだいを象徴しょうちょうしている。ケータイがその典型てんけいである。そんな時代じだいに「幸福こうふく」を考かんがえるとすれば、この欲望よくぼうの連鎖れんさをどこかで断たち切きるより仕方しかたがない。いや、発明はつめいというような新技術しんぎじゅつには目めを向むけず、むしろそれらと縁えんを切きって積極的せっきょくてきに時代遅じだいおくれになるということに「幸福こうふく」は求もとめられるのではないだろうか。テレビは置おかずにCDでモーツァルトや落語らくごを聞きき、パソコンはインターネットに手てを出ださずワープロ機能きのうだけにする。クルマは持もたずに公共交通機関こうきょうこうつうきかんのみを使つかう。ケータイは家族かぞくにしか番号ばんごうを知しらせない。欲望よくぼうを他者たしゃとの関係かんけいに求もとめず、自分じぶんの内部ないぶからの声こえを汲くみ上あげ、何かを創つくり出だすことのみに時間じかんを使つかう、そんな生活せいかつにこそ「幸福こうふく」がありそうな気きがする。むろん、そんな修道僧しゅうどうそうのような生いき方かたは現代げんだいでは「2」不可能ふかのうである。電子でんしメールでは誰だれとでも簡単かんたんにつながって対話たいわできる。インターネットで買かい物ものをし、ブログで自分じぶんの意見いけんが自由じゆうに出だせるのは新あたらしいテクノロジーがあってこそである。テレビからの情報じょうほうは日常会話にちじょうかいわに欠かかせないし、電話でんわでの長話ながばなしも楽たのしい。クルマがあればいつでも好すきな場所ばしょに行いける。パソコンもテレビもケータイもクルマもない生活せいかつは考かんがえられず、これら文明ぶんめいの利器りきは私わたしたちを誘引ゆういんして止やまないのだ。「3」そこに「幸福こうふく」はないと実じつは誰だれもが知しっていても、便利べんりさと効率性こうりつせいを棄すてきれないのも私わたしたちなのである。とすると、どこかで妥協だきょうすることを考かんがえねばならない。断たち切きるところと利用りようするところを使つかい分わけるのである。私わたしのやり方かたは比較的ひかくてき単純たんじゅんで、余分よぶんな機器ききを持もたず、持もっても時間じかんを区切くぎるか場所ばしょを限かぎるかして欲望よくぼうを抑制よくせいすることだ。(中略ちゅうりゃく)そのようにして生うみ出だされた時間じかんを自分じぶんのために使つかうのだ。それが私わたしの「幸福こうふく」への接近法せっきんほうなのである。(池内いけうち了さとる『生いきのびるための科学かがく』による)